ぐるナイ有吉から真中瞳になすびまで・ドロンズ・・「電波少年」

90年代に放送され話題を呼んだ日本テレビの番組
「電波少年」シリーズがぐるナイで取り上げられ話題に

当時としては、型破りの斬新すぎる企画で話題を呼んだ
「電波少年」シリーズ特に、有吉弘行・真中瞳・なすび
らの企画から・ドロンズ・・

『進め!電波少年』『進ぬ!電波少年』『電波少年に毛が
生えた 最後の聖戦』と続いた。

「電波少年」有吉から真中瞳になすびまで・ドロンズ・・ぐるナイ.JPG
http://urx.blue/E0Ks

番組にはたくさんの有名・無名の芸人さんらが登場し、
過酷な試練をこなす様子が人気となりました。
そんな彼らは、今いったいどうしているのでしょうか?

「電波少年」有吉から真中瞳になすびまでのその後・・・







電波少年シリーズは、1992年7月5日から2003年2月22日
にかけて放送された日本テレビ系列のバラエティー番組

当初は番組タイトルを『進め!電波少年』、
司会は松村邦洋と松本明子でスタート、

全盛期には視聴率30.4%を獲得し、
日本テレビの1990年代黄金期を支えた番組

内容は、アポなし、突撃、ヒッチハイク、など様々な
無茶に挑戦したテレビ史上類を見ない伝説のバラエティ

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「電波少年」有吉から真中瞳になすびまでのその後・ドロンズ・・ぐるナイ










有吉弘行(猿岩石・相方は森脇和成)過酷なヒッチハイク
の旅で大ブレイク。

お笑いコンビ「猿岩石」(有吉弘行・森脇和成)
ユーラシア大陸をヒッチハイクで横断、
香港からイギリス・ロンドンまで旅をして
当時、一躍“時の人”となったことで有名

最初の頃は知名度の無さから低迷していたが、
インドを過ぎた頃から人気が出始めた。
1996年10月に無事ロンドンにゴールしてから
しばらくの間は・・・

旅日記本「猿岩石日記」はシリーズ250万部を突破し、
たびの主題曲「白い雲のように」はミリオンセラー
となったが、その後一転、ブームは去り、
冬の時代をすごす。

2004年にコンビは解散し、相方は芸能生活に見切り
をつけて、芸人を辞めた

有吉はその後も芸人は辞めず、「内村プロデュース」
といったバラエティ番組に出演し、露出芸などで
再ブレイクを果たす。

『アメトーーク!』での毒舌が注目を浴び、
2007年頃から再び仕事が増加、毒舌芸人として
二度目のブレイクを果たした有吉

「地獄から這い上がってきた男」として再ブレイク
後の有吉弘行は、今では貫禄さえ漂う売れっ子芸人

2014年3月1日夜、有吉弘行のツイッターのフォロワー
が、国内初の300万人を突破

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「電波少年」有吉から真中瞳になすびまでのその後・ドロンズ・・ぐるナイ








真中瞳(現在は東風万智子)当時は真中瞳として人気に。
1999年にバラエティー番組「進ぬ!電波少年」の企画

初対面の男と3カ月間有刺鉄線で囲まれた核シェルターで
共同生活を送ってみたり、

『進ぬ!電波少年』の企画「電波少年的ハルマゲドン2」
「電波少年的80日間世界一周」でブレイク
チューヤンとのコンビでの「80日間世界一周」では、
旅費を稼ぐためにホステスにも果敢に挑戦

タレント活動の傍ら、2001年に初主演した映画
『ココニイルコト』では、日本アカデミー賞新人賞を
受賞するなど、女優としても期待された

2006年夏に所属事務所であったワタナベエンター
テインメントを辞め、

オーストラリアに約1年半語学留学するとともに、
東京都内でOLとしても働いていた

2009年に真中瞳から東風万智子(こち・まちこ)
に改名しリスタートして、本格的に芸能生活を再開

女優、東風万智子(34)が
2014年3月31日スタートのフジテレビ系
「聖母・聖美物語」で昼ドラ初主演

改名後の初主演ドラマで昼ドラにも初主演と
なった東風は「意志の強さ、
母の強さを意識しながらやっています」とにっこり

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「電波少年」有吉から真中瞳になすびまでのその後・ドロンズ・・ぐるナイ




なすび1998年に「進ぬ!電波少年」で


「人は懸賞だけで生活していけるか」をテーマにした
「電波少年的懸賞生活」のチャレンジャーとして登場

ハガキで応募する懸賞の商品だけで生活する
という過酷な企画で有名に。

日本での企画の後、韓国からも同企画に挑戦しました。

懸賞雑誌とハガキだけを与えられ、100万円分当選する
まで懸賞だけで生活する、という企画内容

コーナーは同番組で最も人気となり、
当時の高視聴率に貢献。
なすびの書いた「懸賞日記」はベストセラーと
なり一躍ブームとなった

企画終了後は地元福島で冠番組を持ち、
ローカルタレントとして活躍

2002年に劇団「なす我儘(がまま)」を立ち上げ、
座長をつとめる。以後は舞台を中心に活動

2013年、東日本大震災で被災した故郷・福島県の
復活と再生を祈願しエベレスト登山を実行、

5月20日に登頂への最終アタックを行うも、
山頂から100メートル下で無念の撤退となり
エベレスト登頂はならなかった。

2014年にも募金で数百万円を集めエベレストに
再挑戦するが、大規模な雪崩発生により
シェルパが登山をボイコットしたため登頂を断念。

2015年に再び募金で数百万円集め、
みたびエベレストに挑むが、

4月25日に発生した大地震と、
ベースキャンプで起きた氷河崩落事故の影響で断念。

2016年5月19日、4度目の挑戦にして遂に登頂に成功した



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「電波少年」有吉から真中瞳になすびまでのその後・ドロンズ・・ぐるナイ




ドロンズ、猿岩石に続いてヒッチハイクをしたドロンズ
(大島直也・石本武士)

1996年に「進め!電波少年」で、猿岩石に続く
「南北アメリカ大陸縦断ヒッチハイク」に挑戦

1997年12月31日、アメリカ大陸縦断ヒッチハイクに成功

アルゼンチンからアラスカまでの3万5千キロを
旅するのに1年2カ月を費やした

ドロンズ石本は2003年にコンビ解散後も「ドロンズ」
を名前に残し、タレントとして活動

グルメ番組や旅番組などのレポーターのみならず。
最近では、CMにも出演、
動けて喋れるマルチなデブタレントとして活動



朋友(チューヤン・伊藤高史)





“朋友”というコンビで、ヒッチハイクの旅をする
「電波少年的アフリカ・ヨーロッパ縦断ヒッチハイク
挑戦者として出演

チーム名は広東語又は普通話で『友達』を意味する
朋友(パンヤオ)。
香港出身のチューヤン、日本の伊藤高史

1998年1月29日から11月14日まで290日間かけて、
南アフリカ共和国・喜望峰から
ノルウェー・スレットネス灯台までヒッチハイクで旅をし、
注目を浴びる

チューヤンは、帰国後は同番組の司会者を務める
などしていたが、2005年に香港に帰国し、芸能界を引退

現在は故郷の香港で広告会社のクリエイティブ
ディレクターとして働いており、
超一流の広告ディレクターとして活躍

伊藤さんは俳優を続け、2013年は堤幸彦監督作品
映画『くちづけ、ドラマ『ガリレオ』第1話や
ドラマ『間違われちゃった男』などに出演



引用:http://urx.blue/E0GY・http://urx.blue/E0H0

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